北見さんの話

生きていると人生のキーマンに出会う事があります。

北見さんに出会ったのは高2の時。
どこかで偶然見かけた広報誌に「高校生夏休み林業下草刈りキャンプボランティア募集」に応募し行った先の『東京都五日市青年の家』に北見さんは勤務していました。

当時は、都庁社会教育課の職員で青年の家に配属されており、北見さんの特徴はなんといっても山を越えるほどの地声の大きさとケントデリカットに負けない目力でした。
一糸迷わぬ発言の明確さで皆んなを率いたり笑わせたり。職員の中では一番下っ端だったと思いますが上司も苦笑するそのキャラクターは皆んなの人気者でした。

周りには農大林業科の学生が多い環境でしたが、今思えば皆んな目がキラキラし向上心の高い高校生・大学生が集まっていたと思います。

林業体験に山を貸して下さった林業家の方が、たまたま学生にとても理解の深い方で皆んなのやる気を汲んで山を貸して下さりそこからサークルが出来て、定期的に集まり整備したりするような仲間が出来ました。

私は平行して、環境教育に興味があり青年の家のボランティア活動に大学に入っても継続していました。

私はとても大人しい性格で、人前で話す事も嫌いだし意志の強いみんなの前では殆ど喋る場面もなく後方で裏方の仕事をしていました。

そんな時に事件が起こりました。
都の財政が大赤字になった皺寄せで、五日市青年の家が閉鎖される事になりました。

これに皆んなは大反対。早速、反対運動をする事になりました。署名活動をしたり議員を回ったり、皆んなで色々調べて都議会で争うことになりました。
そんな学生の頼りない活動に力を貸してくれた大人が北見さんです。
都庁の中を反対デモで歩く時も、北見さんは職員であるにも関わらず一番大きな声で私たちと一緒に練り歩いてくれました。
学生ながらこの人、職場で反対活動して大丈夫なのかなと少々心配になりました。
思いが募って、私は都知事宛てに手紙を書いた事がありました。しかし、私の書いた手紙は青年の家の事だったので社会教育課に辿り着き、北見さんが読んでいました。

その後会った時
『ますみちゃん!!手紙読んだよ!!素晴らしい!!全くその通りだよ、そのままを大きな声で言ったらいい!』
と何でもない事のようにいつもの真っ直ぐ過ぎる眼差しととても大きな声で言いました。

私はとても恥ずかしかったけどその後、都議会での出来事や経験で社会の歪みを目の当たりにしあのままでは挫折して当然の中、大人になってもそうでない人もいるという希望の一端の支えになりました。

北見さんはその青年の家問題抗争が終わると程なく都を退職し、私も社会に出て疎遠になりました。

何年も経ってから、噂でその後国家公務員の試験を受け、静岡の国立青年の家にいると聞き、やはり北見さんはそのままの才能でむしろ出世したことを喜びました。

最近になって、国立能登青年の家の所長さんになったと知りました。
今でも相変わらずの人気者でその才能を活かし続けている様子が目に浮かびます。



marynonno

四季折々の花や植物に触れ、心の豊かさを共有出来る。一つの植物にも魂があり、慈しみ、触り、学ぶ。 自然からもらえるエネルギーを大切に循環できる、そんな活動を目指しています。

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